Arueの日記

思ったことを自由に書いています

Notionと純正メモについて

 Notionというシステムは非常に便利です。カスタム性は高いし、データベースが使える。

 

 記録と管理に優れていて、閲覧の仕方を自分なりにカスタムできる。良い点は沢山あるのですが、僕の生活スタイルから使い方に悩まされる箇所が多く。

 

 僕は自宅ではPCですが、外出先は9割スマホです。

 

 Notionの問題点はスマホの視認性の悪さですね。データベース関連は特に・・。

 

 一応スマホの利用も考えてみたこともありました・・。今はその案は辞めましたが。

 

note.com

 

 リストビューはスマホでも画面に収まって見やすいと思いますね。

 

 でも結果的に見やすさのレベルを超えて、軽さの問題を感じてきました。

 

 なんだかんだオンライン上に保存してありますから、出先で素早くメモを取れる純正メモにその点軍配が上がってきました。

 

 単に今まで使っていたから慣れていると理由もあるかもしれませんが。

 

 でも今まで通りNotionも使っています。その理由と使い分けについて現状を書いていくこととします。

 

 Notionをしばらく使って思ったこと。また管理こそが全てなのか

 まず、僕が思うに管理に優れたNotion、そしてアウトライナーとして優れたNotionだと思っています。

 

 まず管理の部分では、データベースにステータスをつけて完了と未完了を分けることができます。

 

 またアウトライナーとしても優れている為、ブログの記事の下書きを書き、そして先ほどのステータスで管理するような。

 

 ブログの下書き管理には最適と言えるでしょう。

 

 Notionはあらゆる物を1つにできることが魅力なので、色々な方々が情報発信されていますよね。自分の情報をこうまとめてますみたいな・・。

 

 パット見、生活の質が上がりそうですが、僕はどうかなと思ってきた節がありました。

 

 まず第一にデザインの方に気を取られてしまうことですね。

 

 あらゆることを思いつく度にメモを取っていきました。メモが増えてくると、それを見やすいようにデザインする必要がでてきます。そして僕はスマホでも見やすいデザインは何かを考えだしました。

 

 その繰り返しでメモをしていると、管理する必要があるか分からないものまで全てを書き出すことになってしまいました。

 

 必要かどうかより、自分の第二の脳としたことによって、そこの見栄えや整理が悪いと落ち着かなくなってきたんですよ。

 

 全能感を感じるシステムに全てを委ねられるような気がしてしまいます。僕は自由人で器用な人間ではないので、その点神経質になってきて。メモをする本来の活動から反れてしまいそうでしたので、日常全てを移すことは辞めました。

 

結論と現状

結論として、

 

ブログなど文章のアウトライン

映像作品・ゲームなどの記録

その他PC作業のプロジェクト系

 

 まぁメインはアウトライナーとして使って、機能を使えた方が便利な作業はNotionで、それ以外のメモなどは純正メモで行っています。

 

 そもそもiPhone純正メモはアウトライナーとしては微妙です。

 

 トグル(箇条書き)と階層化の機能はNotionの方が便利なのですね。

 

 メモと記事の下書きはどっちもメモだよって感じですが、最初から記事にする前提で書くものはNotionに箇条書きしてメモしています。

 

 軽い思い付きとか残したい事はiPhoneに素早く書く(タグ分けだけはしています)。

 

 使うか分からない状態のものはiPhoneに素早く投げ、ある程度形が決まっているものや、ブログ前提のものはNotionに投げています。

 

 現状はそんな感じですね。

 

ピースアロマを買い、1人で酒場へ

 

 こんにちはArueです。

 

 ピースのアロマシリーズが終売というニュースを聞いたこの頃です。

 

 今は電子タバコに以降したのですが、少しピースライトを吸ったことはあったなと。

 

 濃厚というか芳醇な味わいで美味しかった記憶。

 

 電子タバコを普段吸いしていても、やっぱり紙は美味いんですよね。

 

 でもピースアロマは初めて吸います。タバコ屋で買いさっそく火をつけてみる。

 

 上質な味わいがします(この時はまだ良さに気づいていませんでした)

 

 まぁ普通に美味いなと最初はそんな気持ちでした。

 

 たまたま飲みに行きたいと思っていたのもありますが、バーやスナックでピースアロマはなんとなく気持ち的に良いんじゃないか。ピースアロマ的にも?w

 

  しっとり酒を飲みながら吸ったら美味いんじゃないかなと。まぁそんな短絡的な考えです。

 

 さっそくよく行くスナックに行きました。

 

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 まったくピースアロマは箱がかっこいいから似合いますね。

 

 そして飲みながら火をつけてみると。すごく衝撃を受けたのです。

 

 これ酒にめちゃくちゃ合うぞ・・・!

 

 煙が舌を心地よく通っていく。そして後味も悪くない。味わいは勿論、香りが心地いいです。

 

 そしてロングなのでじっくり吸えて、まったり飲む時間に最適です。

 

 考えてみたらロングでここまで美味いと思った煙草はないなと。

 

 パーラメントメビウスのロングはあまり好きじゃなかったですし、、。

 

 調べてみるとバージニア葉を100パーセント使用しているみたいですね。

 

 なんかこの味を知れて嬉しい反面、もう終売してしまうから悲しい、、。

 

 今日は酒場に珍しく紙を持っていったので、電子タバコじゃないの?と聞かれました。

 

 まぁ色々一連の流れを話して、お裾分け。

 

 僕は楽しみたくて買った訳ですから。一緒に吸えたら嬉しいことです。

 

 それにしても、これが常喫なら相当辛いことですね。

 

 僕は終売煙草を買って、紙を自宅ではあまり吸えないので、せっかくだからと酒場に行きました。

 

 やっぱり楽しいものですね。しっとり飲みながら、話して、歌う。

 

 ほんと楽しいです。

 

 ピースアロマについてまとめると

 

 10mmで吸いごたえもあり、ロングで美味く、煙が舌を滑るようで酒に合い、香りが上質。

 

 良い煙草でした。ありがとう

 

  

 

 

 

久しぶりに

 お久しぶりです。

 

 久しぶりにはてなブログを開いてみた。当分この手のサービスだと最近ではnoteに投稿していた。

 

 noteにも最近色々なサービスを試したレビューなど、生活をよくしていこうみたいな、、そんな記事ばかり投稿していた感じだ。

 

 しかし、僕にとって、ブログに適当に投下するスタイルはここで行えていて、僕の日常の感情を吐き出せる方式はそこにあると確信していたようだ。

 

 意識高い系と言ったら悪く言うようだけども、僕はそこに飲み込まれていたとも言える。

 

 いくつかwebサイトやブログをやっていたが、テーマ性が無い部分は、無料でできるブログサービスで発散していた。

 

 それが今無くなった時にすごく切なさを感じていた。

 

 はてなを見てみるとそうだ。今見てみると確かに当ブログの文章は適当だ。でもそれが自分の感情としては正しいと。

 

 今も頭から出てくる言葉をそのまま書いている。noteも本来そうだった。そんな記事を書いて以降したはずった。でも今は形が変わってしまっていたのだ。

 

 外的な興味を持つことが幸福だと、ラッセルの幸福論を見た時はそのようなイメージを描いた、希望を持った。

 

 

 でも僕は今カオスな感情と戦うことに着地した。

 

 何度繰り返しても結局同じような地点に着地するのぁ。

 

 もう懲り懲り。

 

 トライアンドエラーを繰り返すことは次のヒントを得られるかもしれない。

 

 でも僕はそういう人間なんだと諦めを抱きつつある。

 

 諦めて立ち直ったことも何度もある。

 

 だから余計に虚無なのだ。

 

 人生は挑戦だと言うし、僕は賛成なのだが、虚無がより深いものになっていくことが怖い。

 

 

旅先でスマホを落とした話

 東京で適当に歩いていた時の話だが、予定まで少し時間があった。しかし、あまり来ないし、時間を潰す場所を知らない。

 

 喫茶店とか行くのも良いんだろうけど、せっかく旅先だし、チェーン店に行ったり、休める場所で長居するのもな...と感じていた。

 

 今は電車の中。とりあえず次の駅で降りて、辺りを歩いてみようと考えた。観光地に向かうというのもいいが、適当な場所で降りて街を見るのも、また良い楽しみ方だ。

 

 とりあえず降りて、麻布十番のコンビニで傘を買った。旅行期間ほとんど雨に見舞われており、運が悪い。

 

 コンビニから出て歩いた訳だが、ここら辺のエリアはあまり知らなかった。ただ高級住宅街というイメージはある

 

 志村さんがよく飲みに行っていたとかね。リッチなイメージ。

 

 歩いて暇を潰していたのだが、雨が酷かったので結局室内に入りたくなった。寒いし。

 

 喫茶店を外から覗くが、人が多く、入る気があまり起きない。そんな感じで、ぶらぶら歩いてまた駅近くまで戻ってきた。

 

 とりあえず喫煙所に行きたい。東京に来て思うのは、喫煙所を探すことの面倒さだ。普段沖縄にいる僕は、地元がいかに喫煙者に寛容なのかを思い知らされている。

 

 都会はしっかりしてるなと思う。しかし今回は、運良く横断歩道を渡った先にあるみたいだ。幸運。

 

 さっそく向かい、煙草に火をつけた時、異変に気がついた。

 

 スマホがない・・・

 

 不安感に苛まれる。なんせ道も電車も分からなければ、連絡も取れないため、色んな予定に影響が出る。

 

 終わった・・。

 

 喫煙所の近く、またその周辺を必死に探した。だが、ない・・・。

 

 もうここまで歩いた道を引き返して探してみるしかない。再び横断歩道を渡ると、付近にある電柱にスマホが立て掛けられていた。

 

 おそらく誰かがそこに置いてくれたのだろう、。ほんとによかった。

 

 人混みの中であれば見つかっていなかったかもしれないと思うと、、。冷や汗が出る。

 

 安堵で吸う煙草はすごく美味しかった。思わず隣の人に話しそうになるが、気持ちを抑えた。

 

 旅先での落とし物には気を付けなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間関係もゲームか。誰かがどこかで犠牲になる

 人間関係というのは難しい。円滑に進める為に何か心理学的な、あるいは人づてのプロセスを活用し、ゲームのように現実を攻略していくことはどうか。

 

 私は中々、迷惑かもしれないとか相手を傷つけてしまうと色々思ってしまうため、自己犠牲になりやすい。

 

 その自己犠牲というのも言い訳のようなもので、"自分のため"に行動して傷つくのが怖いだけかもしれない。

 

 それで余計に自己嫌悪に陥る。

 

 幸福を目指す以上、"自分のため"を思った行動が1番実体を残すことに繋がりやすいことは間違いない。お互いの利害が一致すれば良い訳だし、傷ついても良いように解釈するだけだ。

 

 誰かがどこかで傷ついたり妥協することは必ず起こる。

 

 思いやることは良いことだ。だが結局"自分のため"に行動している人に良いように解釈されるだけ、かつ見返りを求めるなと言われる。

 

 そう思うと、辛いね。

 

 正しい"他人のためが1番の幸せ"は、色々な幸福を享受した人の最終的な段階であると考える。

 

 結局大体の、"自分より相手のため"というのは、美徳かもしれないが、考えだけが先に進んでいて、不安定なものだろう。

 

 いつかは崩壊する。人間社会を辞めたらそうならないかもしれないですね

 

 

思考の切り替えと抑圧

 悟りを開いたとか、考え方を変えたとかいうのはゴールだけ見ている抑圧の可能性があると聞いて納得しかない。

 

 私はそれで悩んだことが沢山あった。考え方が自分の身体と一体化していくには、行動が必要である。悟りとかになるともはや、何か超次元的な行動となる。

 

 私は、悲観的な人間なのだが、ポジティブに生きようと何回もしてきた。しかし、最近はそれ自体が自身を抑圧してると感じてきたのだ。

 

 このようなことを言うと、考え方に合わせて行動を伴っていけばいいじゃないと意見があるかもしれない。

 

 だが、私は結局元に戻ることを何回も経験している。だからその言葉はうんざりだ。でもそう言ってくれる人は他人を思いやれるすごく良い人だと思う。

 

 ここでの考え方の違いは、何か内側で考えさせられる段階になった時、その前までの外での経験の差だと思う。

 

 感情に頼らず現実的に見えるアドバイスを送る人は、やはり今まで起こる経験で何か努力した過去がある人だろう

 

 だから努力不足な(成功の水準が高すぎて努力不足だと思っている人も含む)向けのアドバイスというのが別で存在するのかもしれない。

 

 もう考えたそのものを変えるというのは大変難しく、余計にストレスになるだろう。であるから考え方自体は肯定し、自分があるべきと思う姿に向けて努力をしていく。

 

 あるマインドを身に着けたから豊かになったというのは、それまでの過程があるはずだ。憧れとか納得とか、自分を変えたい強い思いとか。要するに自分からの行動。

 

 押し付けは良くない。

 

 とりあえず行動がないと始まらない。こんなこと心の中で誰でも分かっているはずだ。

 

 内的な部分との向き合い方は難しいことばかりである・・

 

 

 

好奇心と強迫観念

 好奇心はそれなりにある方なので、やりたいことがどんどん出てくる。これは一見生活が豊かにすることであると感じることなのだが、悩ましい問題だ。

 


 あることをしていても、他のことが気になり集中力が持たない。それでもって、その間にちょっと知りたい・やりたいことが増えていく訳だから、もう行動できなくなる。

 


 暇な時間ができても、心が休まらない。何をしようかと考えていたら1日が終わったり、精神的に疲れて何もしたくない気分になったりと。

 


 それはもはや一種の強迫観念が働いていると思う。これをやらなければいけないとか、こんな自分にならなければいけないとか、。

 


 現代のコスパ主義に脳を焼かれた状態と同じだろう。今は暇な時間でスキルアップを目指しましょうとか、理想の姿を思い描いて努力しましょうなどよく聞く。良いことなのだが、余裕が無くなると自分の為にやるはずが、やらなければならない(義務)となっていく。精神的にやられてしまったら意味が無いのだが、コスパ主義は聞こえがいいため疑うことができない。それで自分を責める負のサイクルだ。

 


 これが趣味の世界にまで働き出してくると、休まる場所がなくなるだろう。時間が限られていることは疑いようのない事実だが、限られていることを意識しすぎて病んでしまえば、より多くの時間を失うこと間違いない。

 


 私は趣味においても適切な距離感をとりたいのだが、中々に難しくて苦しんでいる。とりあえず" "やりたいと思ったことをやってみよう"と、何も考えない立ち位置で結論付くのだが、安定はしていない。そもそもこの記事を書いている時点でそうだ。

 1個ずつ取り組むのが1番シンプルかつ確実であることは間違いないだろう。でもそれは分かっているのだ、、。分かっている、。