Arueの日記

なんでも日記

抽象的な話題について考えることは有益か。例えば幸福など

抽象的な話題について考えることは有益か。例えば人間みんなが一度は考えるであろう幸福とは何かといったテーマについてだ。

 考え方で人は変わるという意見には納得であるし、私自身それで救われたこともある。しかし、結論としては、幸福について考えるだけでは幸福にはなれないという一種の思考に諦めを抱いてもいる。

 社会生活の上で幸福を考えるとなると、やはり人より優れた何かを持ち活躍したり、人より財産、名誉、あるいはそれ以外の何かを所有することが1番分かりやすいものだ。これは結局自己肯定感を高めることに繋がるが、気持ちだけではない。社会の中では実体を伴うものだ。これは必ず行動を起こしてしか得られない。だから考えるよりも動くことが大事であるのだろう。

 机やベッドでひたすら考えることはどうか。考えることで何か大きなことを成し遂げるなら別だ。でも私を含め、凡人が考えに明け暮れることは、一時の平穏を得られても、それが切れた時には実体として何も残らない。なんならその考えを乗り越える何かをまた1から考える必要から虚無感すら生まれてくる。それは考えることに向いていない人間なのかもしれない。

 私は考えることに向いていない人間は行動を伴わなければ、前に進むことは無理であると思う。考えるのは好きだが、向いていない。私はそういうタイプだ。考えることで何かに苛まれるなら、動いてしまった方がいい、、。だから幸福について考えるだけでは余計に不幸になるだろう。

 考えることで、有益なことは、バラバラとなった感情をまとめることだと思う。自分の価値観を言語化し、わからない心の曇りを晴らしていくことにあると考える。ぼかされた部分を明らかにしていくことになるが、急いではいけない。これがテーマだと決めて熟考すると、先程の幸福について考えるみたいになるのだ。だから仮定をする。私は〇〇のような価値観を持っているから、これに沿った生き方が心地良いだろうな、、とか〇〇することが好きだとか。何でもいい。自分がしっくりくる価値観を言語化することで自分の生き方を考えていくのだ。ゆるく考えて行動する。これが大事かもしれない。ゆるい考えを塗り重ねながら行動していく中で、難関なテーマにも答えられる気がしている。